モノコト

日々のものこと

3月11日金曜日

あの日を忘れない5年前のあの日も金曜日でした。
仕事を終えてワタシは横浜のとある駅に着き、銀行のATMの列に並んでいました。
それがまだ15時前だというのに急に銀行内の電気が消え、防犯上問題があるので外に出てください!と言われエェ〜!と思いながら外に出た瞬間にグラっと来ました。
揺れより先に停電がやってきたのです。
横に立ってたおばあちゃんは「コワイ!コワイ!」と言いながらワタシの肩を持ってしゃがみ込んでしまいました。
ものすごい揺れでした。
狭い駅前、雑居ビルの看板が落ちて来ないか心配になるくらい揺れていました。
震源はキタサンリクらしいヨ!と駅前のお店やさんの人が叫んでいました。

駅で待てど暮らせど電車は動く気配がなく…。
大阪の友達や主人のお姉さんからは「大丈夫?お家の近くのコンビナート爆発したんとちゃうの?」というメールがたくさん来るのですが、主人やじぃとは電話もメールも繋がらずどうしたものかと途方に暮れていました。
そんな間も結構大きい余震があって、そのたびに「キャー」と悲鳴が聞こえてきました。

一番心配だったのはもものコトです。
絶対ウチのほうが揺れが大きかったはず、ももどうしているかが心配で心配でココロがザワザワしました。
とにかく主人と連絡取ろう…ワタシより家に近い勤務地なので何とか帰ってもらえたら…と繋がりやすい公衆電話でかけ続けました。
何度も何度も…。
すると一回だけ繋がり、主人はたまたま代休を取ってて、ももと自宅にいたコトわかりました。
はぁ〜ヨカッた!ホッとしました。

そしたら今度は職場が心配になってきました。
戻ってみると、停電になってトイレもお水も使えなくなっていました。
近くのスーパーに行ってお腹持ちの良いバームクーヘンなどを買ってみんなで食べ、大丈夫そうだったので、大きな駅まで出てホテルにでも泊まろうと職場を後にしました。

もうあたりは暗くなってきて、停電で歩道は地面がどうなっているかもわかりません。
ホテルに泊まる…なーんて甘い考えだったというのはすぐにわかりました。
雨が降って震えるほどの寒さで、駅もシャッターを閉められ朝まで過ごす場所もありません。
仕方なく主人には「歩いて帰る」とメールを送り、国道を東京に向かって歩き始めました。
停電でもクルマが渋滞していたので明るくて、みなさんは東京方面から歩いて来るので逆行でしたが、たくさんの人が歩いていたので怖くありませんでした。
寒かったー!特に大きな川を渡る時の寒かったコト!

ガラケーはバッテリーがなくなってしまいましたが、iPadを持っていたので助かりました。
ジブンが今どこにいるかがわかるし、主人にもワタシの居所がわかったからです。
無謀なワタシのメールを見て、ももと一緒にクルマで迎えに出てくれました。
もちろん主人のほうも大渋滞です。
夜中の12時にやっと品川で会えました。
というとすぐに帰れたようですが、そこからまた8時間かかり、次の日の朝無事に自宅に辿り着きました。
途中、何度も警報が鳴り高架の上でクルマがグオングオンと揺れて怖かったです。

これがワタシの3月11日です。
次の日、テレビで津波や原発の映像を観て、初めて大地震の被害、ことの重大さを知りました。
大津波警報が出てたのに「歩いて帰る」なんて言ったコト反省しています。
もう二度と無謀なコトは言いません。

ワタシがこんなに憶えているのだから、もっともっと想像もつかない怖い目に遭ったり、悲しい思いをされた方はまだ鮮明に憶えていらっしゃるでしょう。
そんなツラいキモチを抱えて、それでも前を向いて歩いていらしゃる…。
5年経っても未だ自宅に帰れない方もいらしゃる…。
胸が詰まります。
今日一日ずっとそんなコトを考えていました。

ちゃんと憶えていますから…。
3月11日を忘れません。


TOP